IoT系男子~Going concern for AI society~

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【覇権企業社会=ネイチャー的フィクション】

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【ポスト覇権国家社会】
今世紀内に、覇権国家のある世界は終わりをつげるだろう。そして、今世紀は覇権企業の世界になる。

近代では、覇権国家が世界をリードしていた。ポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリス、アメリカなどが代表的な覇権国家である。
現在は、アメリカが覇権国家として認知されているものの、機能はしていないのが現実である。

そこで覇権国家に変わり台頭するのが、覇権企業である。21世紀は覇権企業が世界を牛耳る。

【覇権企業】
覇権企業の台頭はどの企業になるか。
覇権企業になるには2つの条件が必要である。

①社員が国籍にダイバーシティーがあること。
②世界75億人の人々に必要とされる。かつ受け入れられるサービスを提供していること。

上記の2つは、必要条件である。なぜなら、近代の枠組みである国家の概念を無くし、より自然な枠組みであるからだ。

現在、最も有力な企業はGoogle、あるいはFacebookであろう。
両社とも米国の企業であるが、世界中から社員を集め、世界中でサービスを展開している。もはや、国を超えた地球企業である。

現在の私たちの生活は、Googleで目的地にたどり着き、Facebookでコミュニティを形成している。実際、どこかの国民であるというより、Google,Facebookのユーザーである。という方が納得しやすい。

つまり、近代的な国家という枠組みよりも、生活に密接なバーチャル国家の方が、帰属意識が強くなってきているのである。

近代は人間が作り出したフィクションである。そして、現在のバーチャル世界は人間が近代社会の中で作り出したよりネイチャーなフィクションである。時代は日々、変化するように人類の概念も日々変化していく。

 

【保守的になったら、人生負けだなと思う。】

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【保守的=無】

世の中はフィクションで成り立っている。
人々は、その仕組みの中で論理的に行動をして生きている。

論理的とは、自分のバックグラウンド(文脈)によって人生を選択をしているという意味だ。
つまり、その文脈を抜けない限り、当たり前な結果しか生まれない。それ以上でもなく、それ以下にもならない。

【文脈の破壊=学習】

新しい何かを学習するとは、過去の自分を破壊するということである。
昆虫が脱皮をして、殻を破るということに近い。

つまり、過去の自分→別の自分に変化する。
変化がなければ、学習したとはいえない。

【生物学的不平等】

全ての人間は平等である。この理念を信じている人はマジョリティーであろう。
しかし、これもフィクションである。
人類が社会を形成するために宗教や法治を持ち入り、人間は平等であるという概念を作った。この方が社会を形成するには合理的だからである。
生物学的に見れば、遺伝子レベルで全ての人間は異なる。誰1人として、同じ遺伝子を持った人はこの世にいない。
だから、全ての人間は平等である。ということは論理的に説明することは出来ないのである。

【保守的でなければ変化が出来る。】

人は1人、1人、別の生き物なのだ。
それゆえ、バックグラウンドなんて過去で終わりである。それに未来永劫はない。
だから、保守的になるということは、社会的に価値もなければ、その個人自身に対しても意味はない。ただただ川で流されている、落ち葉のように流されて、やがて川下にとどまる。保守的になれば、そんなふうに社会の流れに乗ることは出来るであろう。
そこに人生の意味はあるのだろうか。

【ベンサム 功利主義】

 

”互いに衝突するような利己心は利己心ではない。真の利己心は全ての人の調和を求めるような利己心である。”

つまり、他人に迷惑をかけない利己心は良いものであり、社会に対して有益なものであるということだ。

 

【他人に迷惑をかけないとは?】

それでは、他人に迷惑をかけない利己心とは何だろうか。
他人に迷惑をかけない。=他人に影響をあたえない。or 他人に良い影響をあたえる。ということである。

この2点のどちらかを追求する利己心は社会に対して良いものになる。

 

【①他人に影響をあたえない利己心】

①は、自己欲求のみを満たしたいという利己心である。

これは自分の好きなことだけをやっていたいという言葉に置き換えられる。
「オタク」的思考法に近いものかも知れない。

なぜベンサムはこのオタク的思考までも社会にとって良いものだと述べたのだろう。

その理由とは、『個性』を生み出すからであろう。何かに打ち込み続けていると、やがてそれはその人の特殊スキルになる。
個性があれば、その人にしか出来ないものや効率良く行えるものが明確になる。
だから、結果として自分の欲求をみたす、利己心は社会にとって良いものになるのである。

 

【②他人に良い影響をあたえる利己心】

②は社会のために行動することで自らの欲求を満たす利己心である。

これは、起業家、学者などが持つ利己心であろう。自身のビジョン、研究は社会の人々のために成し遂げたいという利己心を持つ。そして、それこそが彼ら自身の欲求と重なることで、利己心の追求をすることで、社会と自分に良い影響を与えるのである。

以上の①,②より功利主義は、人に迷惑をかけるものでない限り社会にとって有益なのであると言える。一見、功利主義利他主義に比べて低俗に見られる。しかし、本質の部分ではベンサムの考えるように功利主義は社会にとっても必要なものである。一度きりの人生、社会に良い影響を与える功利主義を持つことを目標とすべきである。

【現代=「勉強のユートピア」】

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【現代は、「勉強のユートピア」】
全てのツールは揃っている。人々が持つ平均点な文化資本は前世紀と比較すると、飛躍的に増加している。
それはインターネット、量産技術等によってほぼ無料で手に入れられるようになった。前世紀では貴族出身者以外は持てなかったリソースが全てある。
ネットには、百科事典もあるし、査読論文もあるし、公式の統計データもある。ユーチューブでは視覚でハウツーを学ぶことだって出来る。この10年で加速度的に情報量は増加した。そして今後は、VR,ARによってさらに増加していくだろう。
【勉強とは自己破壊】
勉強をする。とは何だろうか。勉強とは簡単に定義すれば、知識のインプットとアウトプットである。
外部から新たな情報を取り入れて、これまで培ってきた内部の情報と組み合わせ外部に排出する。
つまり、インプットする前の自分と、アウトプット後の自分は確実に変化するのである。
【勉強の目的は変身するため】
勉強とは、自分の殻を打ち破って、新たな生き方へと「変身」することである。良い変身もあれば、悪い変身も時にはあるだろう。しかし、その過程を繰り返すことで本質が見えてくる。それが唯一の近道であり、勉強の醍醐味である。
現代は勉強のツールが揃っている。そして現代は勉強のユートピアだ。勉強とは何かを知るために、勇気を持って変身しよう。なぜなら、それは人間だから出来る最高の娯楽であるから。

 

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